メイタタのしもべ日記

タンザニアに住むマサイの夫と遠距離中の看護師

看護師18年目

初めて就職した病院の同期から、3年ぶりにグループラインが届いた。

どうやら京都に来る予定があるので、集まれる人で会いませんか?という内容だった。

懐かしい同期のみんなが、今どこで何をしているか送ってきており長く離れているはずなのにブランクを感じさせない雰囲気に嬉しくなった。

 

私たちの就職した年は、その病院の附属看護学校卒業生が不在だった。

短大(3年制)から大学(4年制)になる過渡期で卒業生がいなかったのだ。そして、市内のほかの病院が閉院になりそこの看護師さんが入職したため、例年に比べて募集が少なく20数人のこじんまりした代だったがその分結束力は強かった。

数が少ないので、各部署の配属は1人もしくは2人。私は幸い手術室配属で自分含め5人の大所帯だった。

 

そんなわけで、集合研修のたびにみんなに会える嬉しさで盛り上がってしまうのであった。教育担当の師長さんが「おはようございます。」と講義を始めれば「おはようございます!!」と小学生なみに大きな声で一斉にあいさつし、「あんたらの代はなんか元気で変わってんなあ!ほかの学年は返ってこやへんかもっと小さい声やのに。」と褒められているのかディスられているのか分からない講評をいただいた。

部署は違えど同期の結びつきは強く、最も辛いといわれる就職1年目を乗り越えられたのは同期の力であることは間違いない。

 

1年目ももう終わる3月に、1年間頑張って乗り越えたお祝いをしようということになり、ホテルオークラのパーティー会場を借りて「一年目を励ます会」を催すことになった。当時の看護副部長Kさんに招待状を出したら「あんたたちはほんまに変わってる。」といいつつ参加してくれた。

当日オークラに行くと入り口に「一年目を励ます会御一行様」と歓迎プレートが掛かっていた。事前にドレスコードも設けられ、みんな結婚式に来たかのようなドレスを着て楽しくお食事してビンゴ大会をした。

 

あれから時は流れ、その病院に残っている同期は片手くらいになってしまった。私も7年目で辞めて、辞めてからのほうが長くなった。

なんと現在、看護師18年目らしい。18年間ずっと同じ病院で働いている同期を誇りに思う。3月に全員にではないが、鴨川の河川敷で会えるのを楽しみにしている。

ラインが流れてくるたびに「旧姓○○です!」、知らないうちにみんな結婚していた。私だけ苗字が変わらないただ一人だったので、この際オークラの広間を貸し切って結婚式の代わりに同期を呼んで「タタを励ます会」でもしようかしら。