メイタタのしもべ日記

タンザニアに住むマサイの夫と遠距離中の看護師

わたしのバイト歴

今までしてきたバイトを思い出してみる。

 

高校生の時、初めてのバイトはホテル(旅館?)だった。

夏休みなどの長期休暇の時だけ働かせてもらっていた。当時の最低時給635円で文字通り朝から晩まで働く日々。高校生で体力あったはずなのに、帰ったらバタンキュー、夢の中でも部屋のクリーニング。

お姉さん方(平均80歳)に「コップが変わってない!毛が落ちてる!メモ帳に筆跡が残ってる!」と詰められる日々。掃除機を片手に部屋中を駆け巡りながら、働いてお金を稼ぐ大変さを知った16歳の夏。

「私今からミーチング行かなあかんから、ここあと1時間で掃除しといてや!」

ミーティングをミーチングというお姉さん(80代)に無理目な仕事を任されても言い返せず。

料理長になぐさめられ、布団敷きのおじさんに励まされ、お姉さんにしそジュースを貰うくらい仲良くなった頃には長期休暇が終わり学校に戻るのだった。雀の涙ほどの初給料から1万円ずつ両親に贈ったが、今でももったいなくて使えずに置いてあるらしい。

 

次は短大生になった春、高時給のテレアポに飛びついた。電話で物を売るのが如何に大変か思い知り2回くらいで辞めてしまった。

その後、家族経営の焼肉屋で3年間バイトに励んだ。850円くらいの時給だった、初めてのバイトの635円から時給215円大幅アップ!!食わず嫌いで食べられなかったホルモンの美味しさに目覚めたのもこのバイト先のおかげだった。

 

国家試験の前に焼肉屋バイトを辞めたので、国家試験が終わってから就職するまでの1カ月弱を派遣バイトに費やした。

色々なところに働きに行ったが、覚えているのはクオカードを台紙に挟む仕事。クオカードより一回り大きな台紙に二か所切り込みが入っていてそこにカードを装着して二つ折りにするというシンプルな仕事。

特にノルマもなかったのだが、こういう単純作業が大得意の私。前に座ってるギャル2人組が1日かけて2箱作ったのに対して私は1人で5箱作った。翌日は6箱作った、ギャルたちは違う持ち場に移動になっていた。3日目、妹も同じバイト先に来ており、作業する私を後ろから見ていた。

「姉ちゃん無駄な動きなさ過ぎて、マシーンやと思った。」

安定に6箱作り出し、さて帰ろうと思ったその時。所長らしき人がやってきて「タタさんやね、がんばってくれてありがとう。」と封筒をくれた。中には1000円くらい入っていたように思う、初めてのボーナスゲット!!

 

看護師となり正職員として働いたのち、オーストラリアにワーキングホリデーで渡豪。

お寿司チェーン店でキッチンとして雇ってもらい、来る日も来る日もカリフォルニアロールやチキンアボカドロールを巻き、混雑時にも顔色一つ変えず寿司を巻き続けホールの子に「タタ、マシーンみたいだね。」と評される。

お店を辞めるときにオーナーに聞いてみた。

「キッチンの経験ないのにどうして雇ってくださったんですか?」

「看護師さんって専門職じゃない?なにかのプロって経験なくても極められる人多いから、大丈夫だって思って採用したよ。」

心の広いオーナーのおかげで、時給18ドル(当時1600円くらい)で毎日働けて楽しいオーストラリアライフを満喫できた。

 

そして今、コールセンターでバイトしている。

時給2400円まで上り詰めた。もちろん20年前とは物価も違うし比べられはしないが、時給635円だった頃から1765円アップした。

持つべきものは資格とスキル、あの時頑張った自分ありがとう。

今日は看護師国家試験の日だった、今日の頑張りがみんなの未来を照らしますように。